森のこと
スギ畑なのか、杜なのか
現代の日本の森林には「畑みたいな森」と「杜みたいな森」があります。
どういうことか。畑みたいな森と杜みたいな森は似て非なるもの、特徴が違うものなんです。違いをひとつあげるとしたら「自然の営み(遷移)を人為的に止めているかどうか」という点。
たとえば、ふかふかの土が露出している場所がひと区画あるとして、そこをもし私たちが何もせず放っておいたら、おそらくその場所は何十年、何百年もすると森になります(あくまで日本での話ですが)。でも、もし私たちがその場所に生えている草を刈ったり、その場所で野菜を育てたりしたら、そこは森にはなりません。
つまりどういうことかというと、畑って「自然の営み(遷移)」を人為的に停止させているからこそ成り立つんです。人が手を入れれば、本来だと収穫できないような場所でも大量に作ることができる。そう考えると、例えばスギやヒノキの単一林は森というよりも「スギ畑」「ヒノキ畑」という要素が強いといえます。
一方、畑ではない「杜」だと、スギやヒノキだけではなくクヌギやコナラなどのドングリの木やカエデのような落ち葉の木、モミやツガのような寒い場所でも耐えられる木など、さまざまな特性をもつ木がパッチ状に多く見られたりします。また、そうした森林は動物や虫、菌類もふくめたすべての生きものが主役となって生態系の循環に貢献しているような空間になっていたりします。
現行の日本の林業だと「スギ畑、ヒノキ畑で木を収穫する」という意味合いも強いですが、どんな森林だとしても生態系が健やかに循環していることが大切なのだと思います。生きものの死骸や落ち葉などがたくさんの虫や菌によって少しずつ分解されて土の一部になる。雨が降ったときそのまま表面を伝って雨水を流してしまうのではなく、シュポシュポと地下にしみこませてくれる。そんな森を、できるところから増やしていけたらいいなと感じています。
森と人の未来のために、
いまできること。