BLOG「森とくらしのはなし」

食のこと

今の流通が見えにくくしていること

食べることとは、「いのちをもらうこと。」畑や田んぼとの距離が近くなると、そんな当たり前のことを改めて、体感することがあります。

わたしたちの生活には、生きものの力を借りて成り立っている営みが多くあります。そのうちの一つが、「食」です。何かを食べるということはそれはそのまま、何かのいのちを自分の身体の一部にする、ということです。でもそんなシンプルなことが意外にも、忘れられやすかったりします。

たとえば農家さんのところで収穫作業をすると、採った作物の「選別」も、収穫と一緒にやることがあります。A品、B品、C品として、それぞれ「均一できれいな形状のもの」と「少し傷がついていて大きさもばらつきがあるもの」、そして「流通規格に合わないもの」というふうに分類していくんです。

この選別作業をすると、野菜がもつ個性のバラバラさにすごく驚きます。スーパーなどで見かける形の整ったものは畑でとれるほんの一部に過ぎず、実際に収穫できる多くのものは大きすぎたりイビツな形をしていたりして。ある意味「アウトロー」なものを本当にたくさん見つけることができます。

そしてこの個性が爆発しているというところがまた、とても生きものっぽくて、人間も野菜も同じ生きものなのだと実感します。

私たち人も、例えば身長が高い人と低い人、平均くらいの人といるし、性格の面でも、華やかな人や落ち着きのある人、アウトドア派やインドア派など、本当にいろいろな個性をもつ人がいます。そして「みんながそれぞれ違っている」という、そのこと自体に素晴らしさもあります。

とても極端な例ですがもしも、とある会社が人材採用のとき「うちの会社ではたらいて良いのは、身長が160~180センチメートルの人だけです」という条件を設けたら。当たり前のことですが、苦しむ人たちが出てきます。150センチの人も185センチの人も「条件に合わない」というラベルを貼られて、その会社では働くことができません。

野菜の市場流通では、これと同じことが行われているのだと思います。「安定した市場流通」や「消費者のニーズにこたえる」という観点から「正解」とされるもの、規格に適合しているものが、流通に乗ることができるわけです。

この流通のシステム自体は、先人たちが少しずつ改良してきた、そしてわたしたちが日々口にするものの安定供給を叶えてきた、画期的なものです。だからこそ、それを否定することはできません。現代社会で食品を買ったことのある人なら、みんな等しく、この恩恵を受けています。だからこそ、「この仕組みによってどんなことが見えにくくなっているのか」ということは、わかっていた方がいいのかもしれません。

「フードロス」という言葉が浸透してきて久しい昨今。そもそもどうしてロスが生じているのか、深堀りしていくと「食べものとはモノである」という前提があったように思います。「現代の流通システムで見えにくくなっていること」とは、「すべての食べものが生きものである」ということです。

「食べものは生きもの。合わないからと捨てるのではなく、活かし方を考えよう」という動きが、市場流通だけではない選択肢を広げていくのかもしれません。

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いまできること。

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