地域のこと
似たもの同士がつながる、その先にあるもの

「今の森林が抱える問題をなんとかしたい。」
「次の世代が少しでも生きやすい世界をつくりたい。」
本気でそう願うとき、障害となりやすいものがあります。それは、「身を置くコミュニティの空気感」です。
ひとつ、例をだします。とある小学校のクラスで、「生徒全員が、黒い T シャツを着ている」という教室があるとします。そのなかでもし「わたしは、本当は白い T シャツが着たいんだけどな…」と思っていたとしても、そんな環境で実際にそれを実行するのはなかなか難しいかもしれません。なんとなく気持ち的にはばかられたり、誰かから「一人だけそんな服着るの、変だよ」と言われたりして、その願い自体を我慢せざるを得ない、ということもありえます。
ふだんの生活のなかでも、同じことが言えます。「私はこうしたい」という願いが生まれても、身を置いている環境によってはそれらを抑えなければならないことも、あるのだと思います。こうしたことは、個人の生活のなかだけではなく、「会社としての在り方」という規模でもしばしば起こります。
なのでそういうときは、そのコミュニティにいるという現状を見直すことが必要なのかもしれません。自分が大切にしたいことを大切にさせてくれる人や、そういう環境を探していくと、自然と同じ想いをもつ人がまわりに集まってきたりします。あるいは、自分が願ったことをもうすでに叶えている人のところへつながっていったりします。「こんな世界を目指したい」という世界観を大切に表現していけば、同じ世界を願う人たちとつながっていくことができるわけです。
「町外からの移住率が増加した」「自治体の財政が潤った」という事例は全国にいくつもありますが、そうしたモデルケースには共通して、そんな構造がかくれている気がします。「私たちの地域では、これを大切にします。」という、はっきりとした「美学」や「大切にしたい在り方」をあの手この手で表現していったその先に、共感でつながっていくコミュニティが生まれていく。地域がもつ美学に共感した人たちが集まってきて「その結果」地域が活性化されるという原理です。
コミュニティデザイン事業では、まさにこうした「似た者どうし」がつながっていく機会をつくりたいという想いで、プロダクトや体験などを創出していきます。地域活性化をしようとか、そんな肩肘はった壮大な感じのものではなく、「感覚が似ている人この指とまれ」という、それくらいの気軽さで「同じ世界を願う人たちが集まる居場所」をつくりたいと考えています。
森と人の未来ために
いまできること。