地域のこと
環境への意識を高めようとしなくて良い理由

居酒屋さんや酒屋さんなどへ行くと「スギ玉」が飾られていることがあります。新酒が出る時期に飾りつけをしてお酒の熟成が進んでいくのを色でお知らせする、というのが目的なのだそうです。
カレンダーを見て「今日は〇月〇日だから、そろそろひやおろしの時期だな」とかではなく、スギ玉を見て「だいぶ色が抜けてきているな。」「ひやおろしが楽しみだな、、、。」と、移り変わっていく季節性を、スギ玉の色の抜け具合で感じ取るような仕組みになっているわけです。

こうした話を聞くと日本に根付く季節や自然を「感じ取る」ような習慣って本当に素晴だなぁと思います。「自然と一緒に生きている感じ」そして「一緒に生きるのを楽しんでいる感じ」があります。そして、スギ玉だけではなくそうした「感じ取る」習慣がある文化って、日本には至るところにあるなぁと。
「自然を保護しよう」「生物多様性を守ろう」というフレーズをよく耳にしますが、本来であれば、わたしたちにはそうした概念は必要ないのかもしれません。もちろん「人による開発の手から守ろう」という文脈であればそうした概念は必要ですが、本来であれば、日本人の文化には「守る」とかの概念を超えた「リスペクトしながら自然環境と一緒に生きる」という付き合い方があるような気がするからです。
無理に環境への意識を高めようとしなくても、「守られているんだな」「ありがたいな」という感覚が、わたしたち日本人には備わっている。
「環境への意識を高めよう」とするよりも「地域の伝統文化を通じて、「自然環境と一緒に生きている」と感じ取ること」のほうが、わたしたちには大切なのかもしれません。