森のこと
「不安になること」の重要性

わたしたちが戦後の拡大造林から学んだことは、「不安になる」ことの重要性だったのかもしれません。
たとえば、「犬や猫を飼うかどうか」という判断はある種の勇気を必要とします。毎日ちゃんとお世話できるのか。日々ご飯を与えられるほどの資金力や、生活のゆとりはあるのか。トイレを綺麗に維持する手間はちゃんとかけられるのか。命を授かるということを考えると、いくらペットが欲しいと思ったとしても気軽には判断できないことを実感します。
人工林も同じ。
「自然林」「天然林」と呼ばれるような森であれば、生態系のバランスが取れているため放っておいたとしても循環は健全に行われます。ですが人工林は、長い時間をかけて人がそこに手を入れることを想定しているもの。作物の生産という人との関わりがなければ成り立たないものです。
なので、「そこに関わり続けられるのかどうか」「手を入れて管理し続けられるかどうか」という、「生産側の体力とのバランス」を考えることは、忘れがちですがすごく大切なのかもしれません。
手を入れ続けられるのか、それとも難しいのか。手を入れ続けられないのであれば、新たな活用方法を見出すのか、もしくは自然へかえしていくのか。こうした判断を現在の生産性に合わせて一つ一つ行っていくことは「ゾーニング」と呼ばれ、各地で取り組みの事例があります。
戦後の拡大造林政策からわたしたちが学べることは、「手を入れ続けられるかどうか不安になること」の大切さだったのかもしれません。特に森林は、長い時間をかけて育てていくもの。「大量に、効率的に」という方向性との食い合わせが悪いからこそ、ある程度の慎重さが大切なのだなと感じます。