森のこと
みんなで自然を考えるのがなぜ大切なのか

たとえば、「顔に吹き出物ができてしまったら、顔のことだけを見直せばいい」というわけにはいきません。
「もしかして、油っこいものを食べすぎたからかもしれない」とか「睡眠不足が続いているからかな?」とか。そんなふうに、自分の生活習慣を今一度、見直す必要が出てきます。単に塗布する薬や化粧水を変えるだけではない、顔という部位以外の要素も含めた振り返りが必要になってきます。
自然環境と向き合うときも、同じなのだと思います。
例えば、今まで収穫出来ていたはずの海藻が、取れなくなってしまった場合。普通に考えるとその地域の海のなかで何か異変が生じたから、そうなったように思えます。ですが、実際にはそうではないのかもしれません。その海の上流域にある森林で、何か異変が生じて、その影響が「海藻が取れない」という形で表出している可能性があります。
同じように、田んぼや畑が洪水で浸かってしまった場合。大雨が激しすぎてそうなった、もしくは近隣の川の排水機能が落ちてそうなった、というだけではないのかもしれません。上流の、あるいは更に遠方の山のなかで何か異常が生じ、そうなった可能性があります。
そんなふうに、何か一つの自然現象が起きたときの背景を探っていくと、「対策をその場所の中だけで考える」ということの限界性に気づきます。「もしかすると、根本的な理由は別の場所にあるのかもしれない」という視点が、自然を相手にする場合は特に、重要になってくるのだと感じます。
山も田んぼも畑も海も、すべてが一体となって動いている。このことが「上流や下流の分断を超えていくこと」や「流域単位でつながること」が大切だとされる、所以なのだと思います。トリカンでも「流域」という言葉をキーワードに、今後、事業やコンテンツを展開していけたらと考えています。